真正保守主義の会

高貴な自由と美しき倫理の満ちる日本を目指して

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サッチャリズムに学ぶ 4 (富を罪だとすることの致命的誤り)

〈サッチャーが保守党党首就任時の「デイリー・グラフ」紙・社説の内容〉

サッチャー夫人がどのような指導者になるのかいまは断言できない。

・・・しかし、この時点で一つだけはっきりしていることがある。
サッチャー夫人が筋金入りの闘士だということだ。

一生懸命働くことの価値を重んじ、それに成功という大きな見返りがあることを信じている。
彼女自身、質素な家庭に育ち、自分の努力と能力と勇気で道を切り開いてきた。
親ゆずりの富や特権とは無縁な人である。
それゆえ、彼女は20世紀の保守党が富を罪だとした致命的な、象徴的な過ちを犯さないように心すべきである。
この過ちのおかげで、保守党員たちは社会主義に対抗して資本主義を擁護するとき、自分たちが道徳的な面で不利な立場に置かれていると考えることがあまりに多かった。
イギリスが転げ落ちるように集産主義への道を進んでしまったのは、これが一つの理由である。
サッチャー夫人がなすべきことは、社会主義に対する保守党の攻撃に欠けている道徳的な意味を与えることである。
もし、それが出来るならば、彼女の党首就任はこの国の政党政治をめぐる議論を大きく変える結果を生むであろう』

それは、途方もない挑戦であった。
だが、私はこのとき、それがどれほどすさまじいものになるかに気づいていなかった


(サッチャー『サッチャー私の半生[上]』、日本経済新聞社、374~375頁)


『エドマンド・バーク保守主義』より転載しました。
http://www.geocities.jp/burke_revival/thatcherism.htm



(続く)
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サッチャリズムに学ぶ 3

今の日本では、市場経済について「新自由主義」=「市場原理主義」=(ルール無き)「自由放任」と曲解、流布され、嫌悪されているのが実情です。

この、無知から発生する根本的な誤りについては、機会を改めて詳述しますが、サッチャーは、私有財産と市場経済の重要性について、どのように考えていたのでしょうか?





以下、『エドマンド・バーク保守主義』より
http://www.geocities.jp/burke_revival/thatcherism.htm


(教育相だったとき)私は「中流階級の利益」を守るための後方支援活動をしていると攻撃を受けました。
私が社会主義的な資本移転税制の導入に保守党の立場から反対しているためです。

しかし、「中流階級の価値観」とは社会の多様性と個人の選択の自由を促進し、熟練した技能とまじめな労働力に対する正当な利益と見返りを提供し、国家の行き過ぎた権力に対する効果的な歯止めを維持し、そして一人一人に“私有”財産を幅広く分配することを意味するものなら、これこそ私が守ろうとしているものに他なりません。

 ・・・もし、私有財産を個人の自由を守る重要な防波堤の一つであると考えていない保守党員がいるとすれば、彼は社会主義者になって、それを廃止したらよいのです。

 私たちが総選挙で負けた理由の一つは、あまりに多くの保守党員がすでに社会主義者になってしまっていたからです。

イギリスの社会主義に向けての前進は二歩前進半歩後退の繰り返しだった。

・・・こうしたことについて罪の自覚がないような政党をいったい誰が支持すべきだというのでしょうか。



サッチャーサッチャー私の半生[上]』、日本経済新聞社、366頁)

(続く)

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サッチャリズムに学ぶ 2



私たちは、イギリスがこれまでに経験した最大の戦いの一つに突入しようとしています。

二つの生き方の間の戦いです。

一つは、必然的に奴隷状態につながる生き方であり、もう一つは自由につながる生き方です。

私たちの対立候補者たちは、保守主義が少数の者の特権であると、皆さんに信じ込ませようとしたがります。

しかし、保守主義は、私たちの国(家)の伝統の中にある偉大で最善のものすべてを保持するのです。

保守主義の最初の信条の一つは何でしょうか?

それは国(家)としてのまとまりであります。

一つの国(家)であって、別の階級に敵対する一つの階級ではありません。

羨望や憎しみを広げることでは、偉大な国(家)あるいは人々の友好を築き上げることはできません。

私たちの政策は、羨望や憎悪の上につくられたものではありません。

それは、一人一人の男女の自由の上に築かれたものです。

成功を抑圧することは、私たちの政策ではありません。

私たちの政策は、成功を奨励することであり、活力と自主性を奨励することです。

この国(家)を、1940年に全体主義に対して立ち上がり、戦うことにさせたのは、ナショナリズムの叫びではありません。

それは、自由を求める叫びだったのです。




(サッチャー『サッチャー私の半生[上]』、日本経済新聞社、109~110頁)
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サッチャリズムに学ぶ 1

日本が今直面している危機は、かつての「英国病」に酷似しています。
であるならば、英国病を退治した、かつての英国の大宰相・M.サッチャーに学ぶべきでしょう。


『エドマンド・バーク保守主義』より
http://www.geocities.jp/burke_revival/thatcherism.htm

私の政治的体質にとって一貫して重要であり、続けた伝統的な経済自由主義――それはエドマンド・バーク自身も奉じていたものだった――は、もっと高い社会階級出身の保守党員にとっては、往々にして異質で、性に合わないものだった。
結局のところ、広範な生産とサービスの分野に国家統制と計画を拡張することを提案したのは、1938年、大きな影響力をもった『中道の道』という本を書いたハロルド・マクミランその人にほかならなかった。
ほかの保守党員は、どんな種類の理論も受け入れようとしなかった。
彼らは、J・S・ミルが使った“愚かな党”という名称を賛辞だと受けとったのである。
社会主義的計画や社会主義国家に対する、もっとも説得力あふれる批判の書として、私がこのころ読み、その後もたびたび読み返しているのは、F・A・ハイエクの『隷従(隷属)への道』だが、この本はよく知られているように「すべての党の社会主義者たちに」捧げられている。
・・・ハイエクの主張を保守党支持者が賛同する種類の国家――法の下の小さな政府――という観点から考えるようになった。


ハイエクは、ナチズム――国家社会主義――は19世紀ドイツの社会計画にそのルーツがあると見ていた。

彼は、国家が経済や社会のある分野に介入すれば、他の分野にまで介入を拡大しようとする、ほとんど抗いたがい圧力が生まれると見ていた。

彼は何世紀にもわたって発展を続けた西欧文明にとって、国家計画がどれほど重大な革命的な意味を持つかについて、われわれに警告を発したのだった。

(M.サッチャー『サッチャー私の半生[上]』、日本経済新聞社、80~81頁)


(続く)

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